技術の進歩と人類の生存

 15世紀にグーテンベルク活版印刷術を発明した(グーテンベルクではないとの説もあり、また印刷術は中国の方が発達していたことは明らかで、ヨーロッパの印刷術は中国から輸入して加工されたものらしい)。活版印刷術は当時の聖書を中心とした知的財産を急速に普及させルネッサンスの礎となり、それは人類の歴史上もっとも劇的な技術革新となった。

 そして、20世紀から21世紀にかけてコンピューターの進化によるインターネットの発達は、グーテンベルクの印刷術に勝るとも劣らない情報伝達の大変革を世界に実現させた。

 世界中の知的財産が、ほんの一握りの特権階級に独占されていた過去の状態から、私たち一般大衆にも共有されることになったのはとても素晴らしいことである。情報伝達における印刷術とインターネットは、人類にとって二大革命かもしれない。

 しかし、そんな技術の進歩が、人類の進歩にそのまま結びつくとは限らず、技術と人類は深い関係にありながら異質であることも人々は自覚している。技術が進歩するからといって一人ひとりの人間の自由と平等が実現するわけではない。情報が広範に伝達されること事態は喜ばしいが、誤った情報までもが即時に伝達される大きな危険性を孕んでもいる。

 すなわち、技術に対して人類の関わり次第により、平和を享受できるかもしれず、一方で恐怖に支配されるかもしれないのだ。これは、技術革新で世界がどんなに変貌しようとも、人類は結局「人間とは何か?」の根本命題を問いつづけなければならないことを意味する。

 人類が生存しつづける限り「人間とは何か?」を問いつづけるしかないが、情報が広範に伝達されることで、より多くの人々に問題を提起できることは重要だ。技術の進歩は人類の生存に絶大な影響を与えるが、それは交通手段や家電製品が便利になり生活様式が変わるという外的印象だけでなく、一人ひとりの人間に内的作用の活性化を促さなければ意味はない。

 どんなに優秀な技術であろうとも一人ひとりの人間の自由と平等に寄与しないなら、それは単に上辺の変化だけに留まる。