嫉妬の感情

 インターネットを覗いていると、ときどき他者を罵倒する言葉を見かける。「バカ」や「アホ」ならまだ許せるが、「死ね」とか「殺す」などが飛び交うと物騒極まりない。「くたばれ」や「ざまあみろ」なども散見する。匿名に隠れ無責任に相手をやりこめようとする背景にはなにがあるのだろう。

 自分の思い通りにいかない、自分にとって気にくわない、そんな心理状況の中で誰かが活躍して注目されると、まずは相手を否定することで「自分」の存在価値を見つけ出そうとする。

 日常における親しみ以外の「バカ」や「アホ」、さらに「死ね」や「殺す」など汚い言葉の背景からは、書き込んだり口にする本人の屈折した心情が正直に表れる。見聞した相手の主張や行動が、明らかに自分よりも優れていると認めざる得ないとき、羨ましさを超えて嫉妬に狂う。特に、自分と同等か以下だと思っていた相手が自分よりも遥かに優れている――と察したとき、嫉妬の感情は相手の存在を抹殺するまで働きかねない。

 これは恋愛感情に似ている。好きになった女性(男性)が、自分とは別の男性(女性)と仲良くしている情景を目の当たりにすると、胸を掻きむしられるように苛まれる。こちらが真剣に想いを寄せているのに無視されたりすると、いてもたってもいられなくなる。これは、片想いをした経験のある人なら誰もが想像できるだろう。

 「バカ」や「アホ」は、じつは「好きだ」「愛してる」が捻じれて裏返しになったのだ。「死ね」や「殺す」は、本当は「羨ましい」「素晴らしい」の歪んだ叫びなのだ。

 つまり、気になってしょうがないのである。自分にとってどうでもよければ無視できるはず。もし、相手の主張や行動が看過できないなら、きちんと反論すればよく、自分なりの主張や行動で堂々と対応すべきだ。それができない己の未熟さを露呈するものとして「バカ」や「アホ」、「死ね」や「殺す」などの否定したがる単純な言葉の乱用があるに過ぎない。
 
 嫉妬の感情の裏側には、自分の弱さを直視できない怖れに慄く本人の姿がある。