昔は良かったと思わない

 年を重ねると、つい「昔は良かった」と懐かしがる。ここで言う昔とは、私の世代が若くて元気があり夢と希望に満ち溢れていたに違いない?未熟な頃、社会は高度成長を経て安定成長期に入り、日本が先進国の仲間入りをして浮かれていた時代のことだ。

 バブルが弾ける以前と以後とでは、確かに雰囲気はガラリと変わった。バブル以前を懐かしがる気持ちは分からぬではないが、冷静に捉えるなら、今に比べて昔が良かったとはどうしても思えない。

 かつて、日本全体が公害に覆われていた。特に、新潟の阿賀野川水銀中毒、富山の神通川イタイイタイ病、三重は四日市喘息、熊本の水俣病、それらは日本における4大公害病と呼ばれ大きな社会問題になった。それら以外にも全国至る所で公害が発生し多くの人々が苦しめられた。さらに、殺人事件を含めた重大犯罪は現在より遥かに多かった。

 スポーツの世界でも、例えば野球では読売巨人というチームが君臨し、プロ野球の世界を支配していた。実体は、読売巨人という単独チームの下にプロ野球機構が存在し、次にセ・リーグ5球団があって、パ・リーグ6球団は最下層に位置づけられるという歪んだ世界を形作っていた。現在、ようやく日本プロ野球機構の下にセ・パ12球団が平等に配置されるようになり、野球の世界に限っては健全化されつつある。

 個人的にも若い頃が良かったと素直に振り返ることはできない。ウジウジして失敗ばかり、カネもなく孤独で、夢や希望よりも心配と不安に苛まれていたような気がする。なにもこれは私だけでなく、大多数の若者の心情ではなかったろうか。朗らかで元気、明日に向かって突っ走る、といった安っぽい三流青春ドラマとは正反対の現実が日常を包んでいたはず。

 だから、昔は良かった、なんてちっとも思わない。けれど、今の方がいい、と断言するつもりもない。時代は変化するのだから臨機応変に対処すべきで、それを「昔は良かった」の郷愁に浸るとしたら寂しい。せめて「少しでも未来を良くしたい」という意識は持ちつづけたい。でなければ次世代のために年を重ねてきた意味がない。

 若さとは恥を晒すこと。正直「昔は恥ずかしかった」のだ。昔は良かった――は嘘である。