底無しの世界

 深夜、遠い彼方の星々を眺めるとき、私たちは同時に他の何かを見ているのである。美しく輝く星に見惚れているだけでなく、じつは、どんなに努力しても手が届かず願いも叶えられない悠久の存在にたいする「畏怖」を見つめてもいるのだ。私たちは空を「見上げる」とさりげなく言う。しかし本当は、高い所を見ているのではなく、底無しの「下」を覗いているのである。

 人間は偉大な存在なのだろうか――正直、そんな言葉は恥ずかしくて気安く口にできない。広大な宇宙の中で私たち人間は特別な存在ではなく、むしろありきたりな存在なのだろう。人間は宇宙の中のひとつの分子に過ぎない。

 私たちを遡れば「ビッグバン」という宇宙の開闢時に辿り着くという。私たちはビッグバンから誕生したのであり、以降、宇宙は膨張をつづけ、137億光年の時間をかけて現在に至っている。私たちが宇宙を眺めるということは、じつは私たち自身の内奥を覗くことではないだろうか。宇宙の果てに存在するものは、私たち自身の奥底にも存在しているに違いない。

 ところで、冬の星座といえばオリオン座だ。澄み切った夜空にひときわ輝いて見える。金沢の冬はいつも雪か雨だが、だからこそ、たまに晴れた夜に見る星々がひときわ目に沁みる。オリオン座の一角に輝くベテルギウスと共に、プロキオンシリウスで形作る冬の大三角形がまた見事だ。いつまでも眺めていたい。

 視力が衰え、街の灯りのせいもあり、さすがに天の川まで見ることはできないが、子供の頃に田園地帯で見た夜空の光景は忘れられない。うっすらした雲かと初めは思ったが、それこそが星が密集する川だった。

 いつの日か、肉眼でもう一度天の川を見たい。さらに、彼方へとつづく底無しの世界を想像しながら「畏怖」に包まれたい。そんなとき、人間はつくづく小さな存在であることを実感し、そして謙虚にならざるを得ないだろう・・・。