原子力を学ぶ

 原子力発電の是非に関し推進派や擁護派が巻き返しを図っているが、彼等にとって大義名分は経済力のためのエネルギー不足である。ところが推進派や擁護派から放射性廃棄物の管理・処理について具体的な対策を聞いたことがない。放射性廃棄物をどうするのか?これを安全に平和的に解決しない限り、原発を認めるわけにはいかないと思うが――。しかし推進派や擁護派にとって放射性廃棄物はどうでもよく、核兵器製造こそが本音なのだ。

 ところで私は、どんなに危険だろうとも「原子力」に背を向けてはいけないと考える。ここでいう原子力とは核分裂のみならず、広義の意味での核エネルギーのこと。人類は科学における量子力学の手法を用いて物質の極微を探求し、ついに素粒子の世界から核エネルギーを発見した。私は物理学の専門家ではないので詳しいことまで分からないが、以上は紛れもない事実である。

 じつは私たち人類は原子力のお陰で生きている。私たちは太陽の核融合という核エネルギーの恩恵で生存している。ただ、だからといって私たちの地球上に核エネルギーを拡散させてよいわけがない。私たちにとってどんなにありがたい太陽でも、私たちは太陽に住めるわけではなく、太陽からちょうど良い距離に位置する地球であればこその生存である。

 原発推進派は、最新の原発であれば事故など起きない、福島原発は旧式だったから事故を起こした、と主張するが、しかしどんなに最新の原発でも、完成した時点から古くなる。感染症を予防するための抗生物質が開発されても、抗生物質が効かない耐性菌がすぐに生まれるように、イタチごっこだ。古くなるモノは必ず事故を起こす。

 放射性廃棄物が100%安全に管理され、せめてはそれが人類のために役立つことが発明・発見・証明されない限り、原子力発電という危険なモノに人類は頼るべきではない。廃棄物すら管理・処理できない最新技術など究極の無駄だろう。

 それにしても人類はとてつもなく危険なモノを自ら抱え込んでしまった。そして危険であればこそ私たちはこれからも原子力について学ばなければ・・・と自覚せずにはいられないのである。