格差の拡大

 東京を離れ地方で暮らすと自家用車の比重がとても大きいことを実感する。金沢市などは典型で、盛況を誇ったかつての商店街は廃れ、スーパー、電気量販店、病院、書店、雑貨店・・・等が大型化して郊外に分散した。市街地の公共交通手段はバスとタクシーだけ、電車は海側と山側に二つの短い路線が単線で細々と走るのみ。

 バスは街の中心を離れると1時間に一本程度、ちょっと郊外に出ると半日に数本しか通らない。バスにはほとんど乗らないが、たまに遠くの停留場の時刻表を見ると真っ白で本数が少ないのは一目瞭然。タクシーは料金が高くて頻繁に利用できない。

 だから、自家用車に頼るしかない。

 家電製品が揃い、電気・ガス・水道が整備され、表向き生活は便利になったようだが、しかし移動手段を通して高齢者の立場で考えると生活はむしろ不便になった。

 電車やバスの公共交通手段の廃止や削減は乗客が減少し現状維持が困難になったからというより、政界と自動車メーカーが結託して自家用車を購入させるための策略だったのでは? と疑りたくなる。

 田舎では、車は一家に一台どころか二台以上所有する世帯はザラだ。しかし、一人暮らしで車を運転できない高齢者にとって毎日の生活が大変であることは容易に想像できる。三世代同居など維持する世帯はまだ多いので、それほど深刻な情況に今はないが、単身世帯が増えて、異世代同居が減少していることは事実。団塊の世代が一斉に高齢化する、これからの数十年間は本当にどうなるのかと思う。

 生活必需品を購入したくてもできない「買い物弱者」がすでに問題になっているが、コンピューターやインターネットの情報関連だけでなく、移動手段の不備も露わになると、社会格差はさらに拡大する。

 家族や世帯の形成、地域経済の在り方、他者同士の交流など、これまでの価値観を大胆に変えなければ人々は共存できないだろう。格差是正を行政だけに任せてもうまくいくだろうか? 私たち庶民の知恵が試されている。