自由も平等も

 格差のない平等な社会を築くことにより、大勢の人々が犠牲になる戦争を回避することができる。また、人々の想像力が存分に発揮できる自由世界にこそ本当の平和が宿り、争いを避けようと収容所や刑務所のように徹底して管理すれば全くの逆効果となる。こうして戦争と平和について考えをめぐらせば、自由と平等についても掘り下げざるを得ない。

 民主主義の理念は自由と平等。しかし残念ながら、現行の人間社会で「民主主義」は形式だけ、肝心の「自由」と「平等」は言葉のみが先行している。自由と平等の認識は、まだまだ人々に浸透しているとは思えない。

 以前、あるテレビの討論番組で「自由と平等と、いったいどちらを選ぶのか」と二者択一を迫った司会者がいたが、自由と平等を対立する概念として捉えようとする姿勢には疑問を抱くしかなかった。なぜ「自由も平等も」と言えないのか。つまり、自由と平等を水と油の関係のように捉えたがる傾向がまだまだ根強いからだと思う。

 ひょっとして「自由になれば平等が崩れ、平等になれば自由を失う」と、本気で思っているのだろうか?

 自由と平等は、水と油ではない。自由と平等は矛盾しない。それは、自由が様々な樹木や草花だとしたら、平等はそれら自由の根を支え栄養を与える大地そのものだ。

 いずれにしても、自由と平等とを秤に掛けて、いったいどちらが重要かと確かめることほど愚かなことはない。自由と平等の認識を深め浸透させるには、感じる、考える、見る、聞く、語る、読む、書く、創る・・・等の訓練がなによりも重要であり、そう簡単なことではないことくらいは分かる。だが、これだけは述べておきたい――

 「真に自由であれば平等のはずだし、真に平等であれば自由なはずだ」