略奪から共生へ

 10個の貴重品を20人が取り囲む。貴重品の奪い合いを始めたら、10人が1個ずつ所有しても、残り10人はかならず手ぶらとなる。あるいは、たった一人が20個を独占し、残り19人は手ぶらになることさえありえる。最悪は、奪い合いから互いが喧嘩して全員が傷ついてしまうことだ。
 
 これまでの人類の歴史は奪い合いの歴史だった。現在も土地や資源の奪い合いはつづいている。武器を用いての侵略戦争による奪い合いだけでなく、よりずる賢く経済発展を口実にしながら奪い合う。

 だが多くの人々は願っている。もうそろそろ奪い合うことは止めにしないか、と。

 科学の進歩は、20世紀後半において宇宙から地球全体を直接眺められることを可能にした。そして地上の人々にとっても自分たちが暮らす地球を丸ごとテレビ中継で見ることができるようになった。

 その昔、広大で無限のように思われていた私たちの世界も、今日では誰もが私たちの世界――すなわち地球は宇宙に浮かぶちっぽけな存在に過ぎないことを自覚している。

 21世紀に入り、コンピューターやインターネットによる通信網の発達で世界はより一層狭くなりつつある。

 価値観が多様化したと言われるが、大局的には「奪い合い競争する」価値観はちっとも変わっていない。私たちが口にする価値観の多様化とは、貧しい地域から奪った資源で経済発展した一部の豊かな社会において、じつは私たちの周りで表現手段を多様化させたに過ぎない。

 誰もが泥棒なんかしたくない。本当は、誰もが与えることで喜びを分かち合いたいのだ。

 10個の貴重品を20人が取り囲むなら、10個の貴重品を20人で使い分け、全員が生活できる術を考えるしかない。貴重品を使い分けるためにはどうすればよいかと皆で知恵を出し合わなければ生きられない。

 この小さく窮屈な地球上ではやがて100億もの人間が生存することになる。全員が公平に生きられるためには、略奪する競争から、まずは共生するための知恵合戦へと価値観を転換すべきだ。それを真っ先に実行すべきは、気軽に「価値観の多様化」を口にする私たち恵まれた環境の住人だ。