「統合失調症」や「うつ病」「依存症」など精神の病、さらに「とじこもり」のような事態などで心を病んでる人はいつの時代でも大勢いる。症状により様々な病名が付けられているが、その根本的な要因を探れば、ズバリ「恐怖」かもしれない。
多くの人が、いや全ての人は精神病を抱えており、その強弱の違い、表に出るか出ないかで判断されるだけのこと。人の内面には常に「恐怖」が根を張り、いつ芽を出してもおかしくないのだ。そして、その原因は人間の誕生時まで遡れるのは容易に想像できる。
最初、人は誰もが「この世」という未知の領域に放り出され、その得体の知れぬ不気味さに慄き恐怖で泣き叫ぶのである。周りの大人は赤ちゃん誕生に喜び祝福するが、新生児からすれば勝手にこの世に放り出されるなんて迷惑千万なこと。
この一番最初の恐怖体験を人は死ぬまで完全に払拭することができない。なぜならこれは人間存在の証だから。これを否定すれば人間を否定することになる。時間と共に人は生物として肉体的に成長するが、同時に心も成長するわけではない。未来や未知への恐怖を乗り越えながら、心は少しずつ成長してゆくしかないのである。
政治家や企業家の大半、特に権威を振りかざす指導者たち、じつは彼らの内面は常に恐怖に慄いている。強さを誇示したがるのは自分の弱さや意気地無さをカモフラージュするため。ロシアのプーチン、中国の習近平、北朝鮮の金正恩、イスラエルのネタニヤフ、米国のトランプ…日本では故安倍晋三やその取り巻きが典型的だ。
威張りたがる人間は有名無名を問わずどこにでもいるが、特徴として恐怖を自覚したがらず、いつも恐怖から目を背け逃亡を図る。だから裸になる勇気がなく、派手に着飾ることにばかり専念したがる。
ある意味、人間の生涯とは恐怖と向き合いながらそれを克服すること。それを少しずつ実践してゆくことで心穏やかな人生が得られるだろう。無防備こそが実は最も強い。裸になる勇気を内に秘めつつ毎日を生きるなら、目立たなくともこれが恐怖を克服する道となる。恐怖の克服は、自分を変え、周囲を変え、いずれ世界を変える…。