生まれ変わる

 人間は何のために生まれてきたのか、という問いは正確ではなく、本当は「人間は何のために生きているのか」と問うべきだ。

 誰もがこの世に自ら誕生してきたわけではなく、まったく知らない男女の営みの果てにこの世に放り出されたわけで、自分を放り出した男女を世間では父母と呼ぶ。世間に放り出された「私」は一応育てられ生かされるわけだが、それは自ら生きてることにはならないので、生きる術を少しずつ学びながらイヤでも自分の存在を問いたくなるのである。

 誕生は他力そのものだが、生きることはとりあえず自力である。だから「何のために生きているのか」と自ら問わずにはいられない。難しい問いかけだが、少なくとも一つは「生まれ変わるため」だ。

 「生まれ変わる」は人生において最も重要な意味を持つが、そんな言葉も多用されると誤解されるし浅はかになる。例えば「会社を辞めて事業を起こし、生まれ変わって頑張るつもり」とか、「性転換手術をして生まれ変わりたい」とか、以上のように人は安易に口にしたがるが、それらは厳密には生まれ変わりとは違う。

 本当の意味で「生まれ変わる」とは、自分が再び赤子に戻るということ、自分の精神が赤子のようにマッサラになるということ。肉体として赤子がこの世に誕生するように、無知無力の赤子が精神に宿り、自分が再出発することである。力を誇示したがる自分の虚飾を剥ぎ取り、ゼロの自分を自覚するということ。だから、生まれ変わることができた人は権力や支配とは無縁である。

 新興宗教では教祖が自ら「メシア」と宣言、大勢の信者を従え君臨したがる。教祖本人は生まれ変わり自分がメシアになったつもりでいるらしいが、しかしこれは生まれ変わりの本質を全く理解していない単なる悪用で、権力欲と支配欲に取り憑かれた独裁者の典型に過ぎない。そんな独裁者が率いる宗教団体など偽物に決まってるだろう。

 私から見れば「旧統一教会」も「幸福の科学」も「創価学会」も、その他数多の宗教団体も五十歩百歩。中でも特にタチの悪いのが旧統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)だ。この巨悪詐欺カルト集団、メディアは怯むことなく彼らの悪魔のような実態を暴き出し続けて欲しい。