テレビにおさらば

 テレビを処分してからしばらく経つが、お陰で生活改善が進み、以前より快適な毎日である。あんなクダラナイものが目の前から無くなり、部屋も広くなったし本当にセイセイした。

 テレビ受像機というハードが悪いわけじゃなく、あくまでテレビ番組というソフトに問題があり、NHKも民放も区別がつかず、どの時間帯でも食ってばかりか、お笑い芸人が自ら笑ってばかりで、全然面白くなく、低レベルの番組が多過ぎてヘキヘキしていた。

 12年前の27インチiMacをテレビに替わって復活させたことは前回の記事でも書いたが、ジャズやクラシックを聴きながらGoogleのArtプロジェクトで美術品鑑賞、パソコンを額縁替わりにして楽しんでいる(Art Authorltyという旧アプリは動作不順で使用しないことに)。

 つくづくこのパソコンを処分しなくて良かったと実感。OSの更新はとっくに終わったし、動作も遅く、ワープロのPagesも横書きしかできず、確かに時代遅れになったが、しかしDVDレコーダーは内蔵され、YouTubeは問題なく見れ、Amazon Musicは聴き放題、Primeビデオも鑑賞し放題だ。遊び道具として使えばこの27インチiMacは今でも十分楽しめる。

 GoogleのArtプロジェクトを利用すれば世界中の美術品を鑑賞できるが、美術の大好きな私がなぜ今までこの機能を活用してこなかったのか。それは単に私が無知だったということ。現代の最先端を走るIT機器の一つがパソコンだが私はそれが持つ便利な機能のほんの一部分しか知らない。

 テレビやパソコン、様々なIT機器類、自動車や飛行機や船舶…等々、これまで人類は便利で役立つ多くの製品を生み出してきた。それらの素晴らしい技術の結晶には本当に惚れ惚れする。ただし、それらのモノをどのように活用すべきかは、使う人間の度量ひとつで平和的にもなるし暴力的にもなるし、あるいは使い方で人間は愚かにも賢くもなれる。

 さて、今現在、人間をいち早く痴呆にさせる典型な代物はテレビ。繰り返すが受像機ではなく、毎日朝から晩まで垂れ流される番組の方だ。また、インターネットという素晴らしい技術も、残念ながら、今現在、大勢の人々から思考力や想像力を奪い痴呆にさせる。フェイスブックツイッターやLINE等のSNSが典型である。

 テレビ番組をただじっとして見続けていたり、SNSをただスクロールし眺め続けていると、大切な時間が費やされるだけでなく、脳ミソが腐り人間は本当にバカになる。