オバマ大統領の広島訪問

 2016年5月27日(金)夕刻、アメリカ合州国オバマ大統領が現職として初めて広島を訪問、平和公園で「核なき世界追求」の演説をした。

 それにしても、こういうパフォーマンスを見たり聞いたりするたび、言葉と行動の関係について深く考えさせられる。政治家に限らず、どんな人間でも言葉はとても重要、そして言葉に伴う行動が試され、それで正当な評価は下される。

 政治家は特に言葉が重要で、だからまずは言葉ありきになるが、行動が伴わなければ裏切られたことになる。ただ、言葉も行動も不十分でデタラメな政治家に比べれば、言葉だけでも真っ当な政治家の方が遥かにマシかもしれない…。いや、本当にマシと言えるのか?

 個人の生き方として「言葉なき行動」は可能かもしれないが、大衆にアピールして支持を得なければならないのが政治家。行動が言葉より、すなわち結果が約束(政策)より先んじることは政治の世界ではあり得ない。政治に翻弄されるのは私たち大衆であり、だからこそ言葉と行動の整合性について注視したい。

 広島を訪問してオバマ大統領は核廃絶へ新たな表明をしたが、米国による非人道的で残虐な原爆投下への謝罪は一切なく、原爆投下がまるで自然災害であるかのような物言いだっだ。

 さて、オバマ大統領の演説は核廃絶への新たな一歩となるだろうか…残念ながらならないだろう。それが前進するには、まずは米国が自ら核を削減し廃棄する見本を見せなければ。他国に核廃棄を促しながら、自ら新たな核を開発してるようではペテンだ。

 可哀想な人を見て、なんて可哀想と思うだけで通り過ぎることが世の中には多過ぎる。これは日常における当たり前の風景かもしれない。

 結局、政治パフォーマンスとは私たち一般庶民の心象風景を反映させることになる。私たちが日頃から無意識に抱える欺瞞や矛盾が盛大にセレモニー化され、私たちはそれを眺めて安心するというわけだ。