ニッポンの嘘(映画)

 現在の日本社会は政治を中心にデタラメの極みだが、それは今に始まったわけじゃない。太平洋戦争に突入、挙げ句の果て日本全土が焦土と化し敗戦。戦前の天皇軍国主義から民主主義へと変貌したはずの日本だったが、自ら勝ち取った民主主義ではなく上辺だけのそれは、デタラメが充満し嘘に塗り固められた社会を継続しただけだった。

 広島の原爆から東電福島第一原発事故まで、上辺の民主主義に隠れたデタラメを克明に撮り続け、それら嘘の数々を暴きつづけて来た報道カメラマン福島菊次郎のドキュメンタリーが「ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎90歳(監督:長谷川三郎)」だ。久し振りに見応えのある良質な作品に巡り合えた。

 なんといっても、福島菊次郎という人物の魅力である。飄々としながら己を貫き通す生き方にはただただ感嘆するしかない。当人からは妙に深刻ぶった姿勢はなく、むしろ思わず笑みがこぼれ、ほのぼのとした親近感を醸し出す。一緒に暮らす柴の愛犬ロクの存在が特筆もの。

 体重37キロ、細身の肉体からはスケールの大きさと奥深さが見えてくる。暴漢に襲われ、自宅が放火までされた――にもかかわらず信念を曲げない福島菊次郎のような生き方は誰もが真似できるものではない。それでもほんの少しでもいいから見習わなければ、と肝に命じよう。

 こういう映画を観ると、いかに撮るかという技術的なことも大切だが、作品とは何を撮るかがいかに重要な要素であるかが分かる。福島菊次郎という反骨の報道写真家のドキュメンタリーを撮ろうと決意した時点で、作品の価値はかなり上がるし期待を抱かせる。

 上映時間114分のどの場面も見応え十分、特にラストが印象深い。広島で被爆者の撮影を始めたときの被写体であった中村杉松さんが眠る墓の前で手を合わせ「ごめんね」と頭を垂れて涙するのだ。たとえ社会を告発する弱者に寄り添う写真であろうと、撮ること事態が既に加害の立場になることを福島菊次郎本人が自覚しているからである。

 どんなジャンルであろうと優れた表現とは対象をさらけ出すことに他ならず、それはすなわち相手の恥をさらし相手を傷つけることになる。それら加害の自覚がなければ表現者たりえないのだ。