あたり前のことだけど

 包丁で人を殺したからといって包丁の製造が禁止されるわけではない。包丁とはそもそも調理のための道具なのだから。また、自動車事故で運転手や歩行者が死んだからといって自動車の生産が止まるわけでもない。自動車は、より速く人や物を目的地へ運搬するためにはとても重要なのだ。

 ところで人間が発明し扱うものは過ちや事故を起こす。不完全な人間が作り利用する道具や機械やシステムは、どこかで必ず狂いが生じる。

 社会全般にエネルギーを供給する原子力発電所も人間が作った不完全な代物であり、だからこそ爆発事故を起こす。

 包丁は人殺しの道具になる。自動車は走る凶器と化す。そして原子力発電所は危険な放射能を撒き散らす。

 ある意味、包丁も自動車も原子力発電所も似たようなモノ、と言えなくもない。

 さて、一本の包丁で殺される人の数はたかが知れているし、一台の自動車事故で死亡するのは数人から数十人ほど、飛行機でも数百人単位まで。しかし、原子力発電所の事故で害を被る人の数は一基だけでも数十万人から数百万人になるだろう、場合によっては数千万人〜数億人に及ぶかもしれない。

 さらに、原子力発電所放射能を撒き散らすだけじゃなく、危険な放射性廃棄物を大量に溜め込むこととなる――半永久的に。

 ある企業の売れ筋製品が一つだけだと、それが流行ってるときはいいが、やがて廃れたとき代わりの製品の準備がなければ、その企業は倒産するだろう。また、ある社会が特定のエネルギー源にばかり頼っていると、普通に稼働してるときはいいが、一度でも事故が発生し使い物にならなくなったとき、その社会はあっという間に滅びるだろう。

 倒産くらいならガマンできても、滅亡するのはまっぴらゴメンだ。

 やはり、包丁や自動車と、原子力発電所は決定的に違う。