テクノロジーとの付き合い

 スマートフォンタブレット、そしてインターネットは今や全盛だが、直近の集計によると、60才以上の高齢者で、それらを活用していない人が67%もいることが分かった。逆に、高齢者の情報源はテレビがトップで79%、新聞が63%もあったという。

 極論すれば、60才以上の2/3がIT機器を敬遠し、4/5もがテレビに頼っているという現実が浮きぼりになったわけで、この結果はちょっと意外だった。まだまだこの程度なのかと思った。

 それにしても、8割近くもの高齢者がテレビから情報を得ている現実とは、まさにダメな日本の現実を象徴しているかのようで、ある意味納得できる。日本を救う道はテレビ離れをすることだと私は本気で思っているからだ。

 現状のインターネットが特段優れているわけではないが、少なくともそれを活用することでテレビよりは個人として前向きに社会に対峙できるかもしれない。

 テクノロジーの進化は後退することがない。それは人間生活をより快適に便利にさせる…。そう信じ込ませるような雰囲気が社会全体に蔓延している。ほとんどの人々はテクノロジーの恩恵に預かりながら毎日を生きているし、生きていかざるを得ない。

 しかし、日本年金機構不正アクセスによる個人情報流出問題や、マイナンバー制度への不安増幅など、テクノロジーの便利さを共有することは同時に管理体制が益々複雑化されることでもある。テクノロジーの進化とは、すなわち管理システムの強化とも言い替えられる。

 60才以上の高齢者は後30年〜40年でほとんどが鬼籍に入り、世界中の人々は生誕したときからコンピューターに囲まれ育った世代で占められる。その時、より便利で快適になったテクノロジー社会を享受しているのか、それとも社会全体が超近代的刑務所と化して人々は丸裸にされているのか。
 
 束縛と隷従をもたらすかもしれないコンピューター社会。私たちの自由と平等は、所詮は刑務所内の自由と平等に過ぎないのか。真の自由とは、真の平等とは、果たして何だろうか? それについては今後、テクノロジーを積極的に駆使する若い世代が模索しながら答えを出すしかない。