車は嫌いだ

 東京では最初から最後まで池袋の周辺に住んでいたが、山手線と地下鉄を利用すればほとんどの用が足せ、車はまったく必要なかった。バスには東京で暮らした33年間で2度しか乗ったことがない。

 私は車の免許証を持っているが、車は所有していないし、40年以上ハンドルを握ったこともない。そんな私が東京から金沢に帰って不便かと言えば、運良く金沢のほぼ中心部に住んでいるので、歩ける範囲で大概の用を済ますことはできる。

 しかし、東京でも金沢でも同じだが、ちょっと郊外へ移動すると、もう車無しに生活は成り立たない。東京では山手線の周辺とその内側だけ、金沢では城を中心として半径数キロ圏内だけ、「車は要らない」は狭い範囲でしか通用しないことを実感する。

 私は車が嫌いだ。どんなに家が立派で周りの景色が素敵でも、車がなければ生活できない環境に私は住みたくない。反対に、歩きと自転車だけでほとんどの用を済ませることができるなら、どんなにオンボロで小さな家でも私は良しとする。

 それにしても、郊外の巨大なショッピングモールの広い駐車場に多くの車が並ぶ光景を見ていると、自動車業界と小売業界と政界が結託し、人々を郊外に移住させ、車を所有させ、そして皆でショッピングモールへ行かせる…そんな政策を図った結果、人々はまんまと計略に乗せられたと勘ぐりたくなる。

 とはいえ時代の変化は早く、少子高齢化が加速する中、車に頼る郊外型生活スタイルから小さな地域だけで完結できるスマートシティへ、ひょっとすると大きく転換するかもしれない。車は現代社会にとってなくてはならない重要な道具だが、車がなくては個人の生活が成り立たない社会は大いに疑問である。