三つの人生

 単純に二項対立させ比較するのは好きじゃないが、物事を説明するには分かり易く便利だからついその手を使う。例えば人間について語るとき、男と女、背が高い低い、太ってる痩せてる、内向的と外交的、理科系と文化系、さらに肉食系か草食系か…等々。

 人間に関しては、それら外見的や性格的なこと以外に、生涯に焦点を当てることで大きく二つに分類できるかもしれない。早熟型と晩成型の違いと言えば簡単だが、その分類にはかなり深淵な意味があるはずだ。

 まず早熟型。若くして幸福の絶頂を迎え、後の人生は坂を下りるだけ、再び絶頂を味わうことを願いつついろいろ試みるが、二度と達成することはない。一方、喜びを知らぬまま底辺を彷徨い、ある時から幸福を求めなんとか坂を這い上がろうとするのだが、結局、頂上まで登り詰めることはできずに終わる。いわゆる晩成型。

 どちらが幸福な人生と呼べるのか判断するのは難しい。絶頂を味わえるのは幸福の極みだが、それは長くつづくはずがなく、後は転げ落ちるだけの人生なんて不幸そのものだし、喜びを知りたくて歩みつづけるのは幸福に見えるが、しかしいつまで経ってもそれに到達できないとしたら虚しいだけ。

 上記に述べた二つの型の人生は、結局はどちらも不幸な人生と呼べるかもしれない…と、ここまで書いて、もう一つ第三の人生が存在することに気づく。それは事件や事故や災害に巻き込まれたり、さらに悪徳政治が蔓延る時代に翻弄され、生誕から死まで底辺で右往左往せざる得なかった人生のこと。

 身の周りだけでなく、世界に視点を移せば、絶頂を味わえないどころか、上昇気流にも乗れず、そんな人々がどんなに多いことか容易に想像できる。最初から最後まで絶頂のままでいられるハズはなく、だから第四の人生はありえない。もしあり得ても、絶頂が続く人生などクソ面白くもない退屈極まる人生であることは間違いない。