宗教はどうあるべきか

 宗教は今現在も絶大な影響力を持ちつづけるが、かつての宗教と同じ取り組みでは役に立たないし、それどころか人々にとって大変な迷惑にもなりかねない。宗教の目的は人々を救うことにあるはず。だが現在の宗教がその目的に叶っているかどうか甚だ疑問である。

 もし宗教が病気や貧苦に喘ぐ人々に対しあの世で救済を求めるなら、時の権力者にとってこんな都合の良いことはない。なぜならそれは差別や格差を容認したまま現状維持に加担してるに過ぎず、だから宗教は権力悪と常に結託することになる。それどころか、宗教そのものが権力化する。

 現在の宗教は、底辺で生きる弱い人々に対しこの世でこそ救済せねばならず、それを成し遂げようとすれば宗教は反権威・反権力に(絶対的権力は絶対的に腐敗する限り)ならざるを得ない。真の宗教者なら教会や寺院やモスクからは距離を置くはずだし、名声など求めず常に弱者と一体となって生きようとするだろう。

 釈迦やキリストやマホメットなどの世界的な宗教者、日本でも空海最澄親鸞日蓮道元、そして蓮如など影響力のある宗教者、彼らの生きた時代や場所はそれぞれ異なるとはいえ、当時はまだまだ死後の世界や多くの迷信が信じられていた時代だった。
 
 しかし、科学が急速に発達した産業革命以降の近現代では、宗教のあり方そのものが根本的に問われなければならず、それはまさしく宗教者の生き方が問われるということでもある。宗教と科学を対立させてはならず共に歩まなければ。

 少なくとも「あの世=死後の世界」に訴えかけるような宗教は全てインチキだし(今時、あの世を主眼に据える宗教団体など少ないと思うが)、そして大きな教会や寺院やモスクなどで権威を奮う宗教もデタラメだ。国境や人種にこだわる宗教など論外。いつの世も偽物が大きな面をして威張っている。

 どんな人々も「この世=現世」で幸せになる権利を持っている。それは一人ひとりが自由で平等で平和に暮らせるようになるということ。宗教は科学と協力しつつそれらを実現するため働かなければ意味はない。