天動説にこだわる面々

 私が嫌いな有名人はたくさんいるが、その代表的な二人の人物が橋下徹ホリエモンこと堀江貴文である。彼らが世間に登場してからだいぶ経つが、最初から私は彼らのような人物が大嫌いだった。

 何か事あるたびに彼らは口を出し、またそれをメディアが大々的に取り上げ話題にする。彼らが世間の人気者であるのは確かだろう。彼らが目立つのはその舌の滑らかさと言語の量にある、中身は別として。

 橋下徹堀江貴文は同じではないが、かなり似てるところがあり、それは彼らが自分の利益の為に大衆を利用してるところ。彼らは相変わらず自己中心の天動説を信じてるような人物なのだ。

 一方、俳優出身で政党「れいわ新選組」の代表山本太郎に私は好感を抱くが、その一番の理由は、彼は他者の為に尽くそうとしてるから。彼はあくまで地動説という事実に則りながら大衆に訴えかけているように見える。

 ワガママで幼児性から抜け切れない安倍晋三首相などは自己中心の天動説にこだわりつづける典型的な人物と言える。こういう人物の特徴は何かミスを犯しても決して認めようとせず、平然と嘘を吐き、いつも隠して逃げようとするのである。自分を正当化させる為には嘘と隠蔽と逃亡しか手段がないからだ。

 事実と真理を追及する科学は天動説から地動説へと進歩してきたが、人間そのものは残念ながら常にミスを犯してきたし、これからも失敗を重ねつづけ、科学のように進歩することはなかなか難しい、いやほとんど進歩はないと言っていい。

 そもそも人間における「自己」とは、自己にこだわり続ける限り元々は天動説のような存在なのかもしれない。もし人間が進歩するなら、天動説から地動説へと転換せねばならないが、そんなことができるのか、どうしたらいいのか。

 自己と他者、天動説と地動説、これらの関係性について、もっともっと吟味し考察したい。科学は進歩するが人間はいつまでも昔のまま、そのギャップがもたらすものは何だろう。未来がとんでもない悲劇の場になりませんように。

…よりはマシ!

その1

 庭の草がすくすく育つ。5月から6月にかけ、草が生えるのがとても早く、たった数日でかなり伸びる。一週間に一度、最低でも二週間に一度は草むしりをしなければ。

 まったく草は逞しい、どんなところからでも生えて来る。しかし、たとえ街中でも草は無いより生えてる方が断然いい。コンクリートで囲まれ、土の匂いがしない環境より、少しでも緑を目にすることがどれだけ人の健康に良いだろうか。

 害虫が発生するのは困るけど、それでも小さな花が咲き、蝶が飛んで来るんだから、心は和むし、じつにありがたいと思わずにはいられない。 

その2

 私の利き腕は右なので、箸を持ったり、ペンで字を書いたり、本のページをめくったり、物を拾ったり…するときは大抵右手を使うが、左手がじつに勿体なく、もっと左手を有効活用できないかと考える。

 右手も左手も同程度に使える方が便利に決まってる。そこで、これまで右手で触ってたコンピューター用のマウスを、これからはなるべく左手で扱おうかと思う。中央にコンピューター、左手でマウスを操作、右手でノートにメモ。かなり効率的になる。 

その3

 テレビや新聞で報道される「数字」をどこまで信用していいのか、新型コロナウイルスに関する感染者数など大いに疑問。NHKを始め「東京で~日連続感染者数が100人以下になりました」なんてヒドイ報道だ。検査数が100人以下ならそれ以上になるわけないだろ! バカにしてるのか。

 検査しなければ感染者数が少なくなるのは当たり前、感染者数だけでなく、検査数、陽性率などの具体的数字も報道されなければ全く信用できない。まずは検査数を先に公表すべき。検査体制が不備な現状で感染者数がいくら減ろうと安心できるわけがない。徹底した検査を実施、その結果、感染者数が増加しようと実態が隠されてるより遥かにマシだ。

 新型コロナウイルスで死亡した人の数が諸外国に比べ日本は少ないが、PCR検査がきちんとされずに亡くなった人がかなりいるかもしれず、隠そうとしてばかりの日本政府や東京都政の姿勢は本当に恥だ。表面的な数字で一喜一憂する国民は完全に洗脳されてる。

人間は弱い存在

 五月を迎え、一気に初夏の陽気に包まれた。大型連休の最中、しかし今年はこれまで経験したことがない状況にある。6日までだったはずの緊急事態期間も、予想通り大幅に延長、今月末までつづくらしい。その後もどうなるか分からない。

 新型コロナウイルスに翻弄され続ける社会、少なくとも夏が過ぎるまで自粛モードが蔓延しそう。私の生活スタイルにそれほど変化はないが、次第に影響を受けることは必至、今まで以上に細々と暮らさなければならなくなるだろう。

 報道で知る限り、人々の自粛効果もあってか、緊急事態宣言が発令されて以降、感染者数は徐々に減っているように見えるが、もちろん油断大敵、経済活動が復活できるのはかなり先になりそうだ。そして、誰もが言うように、第二波、第三波は必ず襲って来る。

 しかし、いずれ新型コロナウイルスが終息することは間違いない。とはいえ街中で以前と変わらず再開できる店舗は果たしてどれほどか。半分以上が廃業の憂き目に遭っているかもしれず、街の雰囲気はすっかり様変わりしてる可能性が大きい。

 経済に及ぼす影響は計り知れず、半年後、一年後の社会はどうなっているだろう。行政からの支援はあまりに乏しく、自粛延長を要請するならそれに見合うさらなる補償は絶対に必要。結局は自己責任の範囲内で片付けられてしまうとすれば、あまりに残酷過ぎる。

 ところで、左上側の奥歯が痛くてしょうがない。我慢できないほどではないが、物事になかなか集中できない有様。一昨日から痛みは感じていたが、まだしばらく続きそうでウンザリ、連休中だから歯科医院は閉まってる。

 時々、虫歯でもないのに(いや、虫歯かもしれないが)、突然、歯と歯茎が痛み出すことがあり、体調異変の信号なのか。新型コロナウイルスのご時世、ちょっとしたことでも敏感になる。

 世間は新型コロナウイルスで騒いでいるのに、今現在、私にとっては歯痛の方がより深刻とは情けない。まったく人間とは弱い存在だとつくづく思う。普段はエラそうな事を言ってる輩も、ちょっとした歯痛や腹痛で右往左往するんだから。

緊急事態がつづく中

 四月に入ってすぐ暖房器具を片付けるつもりでいたが、冷え込む日がつづいたのでなかなかできなかった。もうすぐ五月なのに、ひょっとすると今夏は冷夏かもしれず、そうなると新型コロナウイルスの影響はかなり長引くことが予想される。

 全国に発出された緊急事態宣言は、一応黄金週間最後の5月6日までになっているが、現状を見る限りそこで終わるとはとても思えず、延長されるのはほぼ間違いない。ズルズルいきそうで、宿泊業や飲食店が今後どうなるか非常に心配である。

 個人的には図書館の休館で本を借りられないのがとても辛い。無料で好きなだけ読書できる図書館は、私のような貧乏人にはとてもありがたい存在だ。仕方ないのでインターネットを利用し、アップルのiBookから久しぶりに書籍を購入することにした。中古や薄手の物は比較的安いが、多くは7~800円から1000円以上するので頻繁に購入できない。

 しかし私にとって読書は最大の楽しみのひとつ。しばらくは費用が嵩もうと好きなだけダウンロードするつもり。馴染みの店も自粛休業してるから酒代は使わないし、飲み代が浮く分、書籍購入に充てればいいだけのこと。

 インドア派の私は元々家にいる時間は長いが、緊急事態宣言が出てから益々その時間が長くなりそうで、運動不足にならないよう、また食べ過ぎないよう、日々の健康管理には十分気を付けたい。

 食べる量は普段と同じでも、身体を動かさなければ同じではなくなる。食事内容には注意を払うことが肝心で、特にご飯の量は思い切って減らした方がいい(腹八分目)。座って食事してると、けっこう胃袋に入るのである。ちょうどいいと思っても、その後立って歩き始めると、お腹の辺りが重く感じるときがあるが、明らかにそれは食べ過ぎのサイン。

 注意を怠ると、だんだん太っとくるのは間違いない。幸いこれまでの私は身長も体重もごく平均、BMIはど真ん中の22。健康に配慮しつつできるだけ長くこの数値は維持したいものだ。

   それにしても最前線で働く医療従事者には感謝の気持ちしか湧かないのに、一部で彼らに対して差別的言動が起きてることが信じられない。感謝しつつ私のような凡人には何もしてあげられないが、病原菌に感染しないことが医療従事者への一番の貢献になるはずで、だからこそ日々の生活を見直さなければと思う。

緊急事態宣言下で

 窓から見える紫陽花の茎と葉がだんだん大きく育ち、枝分かれした幾つものテッペンには数多くの小さな蕾が見え始めた。我が家の種類はヤマアジサイで派手さはないが、梅雨に入る前から可憐な花をたくさん咲かせてくれるに違いない。

 南天の樹とヤマアジサイ。小鳥が飛来し、蝶が舞う。地面ではトカゲが這い、ときどき野良猫も侵入してくる。狭い土地ながら眺めているとなかなか面白い。

 それにしても、辺りは空き家が目立ち、本当に静かだ。さらに新型コロナウイルスで皆が外出を控えてるから、さらに、一層、静けさが増し、何もかもが沈殿したかのよう。ただ、時計の針だけがいつもと変わらず動いてる。

 暖冬だったのに、なぜか四月に入っても例年より肌寒い気がして、暖房器具に頼る生活をつづけている。もう下旬、もうすぐ黄金週間を迎えるが、どの行楽地にも人気のない、戦後もっとも寂しい初夏の黄金週間になるだろう。

 全国一斉緊急事態宣言で、学校は長期休暇、バーも居酒屋も百貨店も営業自粛、そして~祭りも~大会もほとんどが中止か延期、さらに映画館も図書館もスタジアムも臨時閉館・閉鎖。今現在、死にゆく人間社会を目の前で見てるかのよう。

 私はインドア派だが、いつでも外出できる気楽さがあればこそ、家で読書し、音楽を聴き、映画鑑賞できるわけで、外出に制限が掛かると、インドア派でも次第に息苦しくなる。これは鍵を、内側から掛けるか、外側から掛けられるか、想像すればすぐに分かる人間の心理に関係することだ。

 一日も早く新型コロナウイルス騒動は落ち着いて欲しいが、そう簡単でなく、これとの戦いは相当長期になると予想される。何もかもが停滞し、街中はゴーストタウンと化し、人々の生活にとんでもない影響を与え始めた。

 悪い事ばかり考えていては滅入るばかり。こんな時でも、いや、こんな時だからこそ、逆にチャンス到来と少しでも前向きな姿勢で臨めたらいいのだが。仕事や家庭、私たちの日常生活全般、社会の仕組みのあり方を根底から見直したい。

ちぐはぐ

 ついに緊急事態宣言が発出された。今のところ主な対象地域は東京や大阪などの大都市圏(本日13日、石川県でも緊急事態宣言)。しかし、状況により徐々に全国に拡大されることは間違いなく、そして各地方は最終的にその地方の首長が判断を下すことになる。責任を負いたくない国と地方、まるで「責任回避」を競ってるかのようで見苦しい。

 私の地元石川県も新型コロナウイルスの感染が一気に拡大。昨日の段階で金沢を中心に既に113人、地方でこれはちょっと多過ぎる。それでも今現在は前段階、日本では本当の山場はこれから。いったいどうなるのか、深刻にならざる得ない。

 それにしても、補償があやふやなままの緊急事態宣言は順序が逆だ。国の危機管理の脆弱さが社会全体を一気に奈落の底へ突き落とす。私たちは分かったはずだ。本当の国防とは、殺人兵器で重装備することじゃなく、イザとなった時、底辺の弱者を即救済できるかどうかのシステムなのだということを。

 安倍政権のこれまでの新型コロナウイルス対策は「ちぐはぐ」の一言。これはウイルス発生当初から全然変わらず、タイヤモンドプリンセス号の初期対応に失敗したことが大きい。

 その後の取り組みは、安倍総理のスタンドプレー、締めるべき時に締めず、あまり効果がないことに多額の税金を使い、他国に比べ極端に少ないPCR検査、中央と地方で意思疎通はバラバラ、感染者数が急増加しても対応に一貫性がないため宙ぶらりん。特に、東京オリンピック開催に重点を置き過ぎて、新型コロナウイルス対策が後手に回ってしまったのは失敗の極み。「やってる感」のパフォーマンスばかり見せて、まさに「ちぐはぐ」。

 こんな無責任なトップに率いられる日本のお先は真っ暗。医療崩壊だけでなく、中小零細企業の倒産、小規模店舗の連鎖的閉店で、感染者と併せ自殺者も急増するかもしれない。損失補償が十分できないなんて、アベノミクスの正体が暴露された。

 それでもいつの日か、必ず終息するだろう。しかしその時「コロナが悪かった」で済ませてはいけない。悲惨な戦争は、戦争を起こした人間が悪いに決まってる。「戦争が悪い」で済ませられては殺された人々は浮かばれない。病原菌の災厄にも人災の部分が多々あり、政府の政策には常に批判的な眼を向けていたい。

幻想の繁栄社会

 朝から暖かい日差しが降り注ぎ、辺りは静かで穏やか、新型コロナウイルスで世間が騒いでいるのが嘘のようだ。しかしその感染拡大は留まることを知らず、大都市圏だけでなく、地方都市でもその影響は顕著、感染者数の爆発が懸念される。私の地元金沢でも昨日まで43人へと急増加した。

 おそらく実際の感染者は報道されてる数字より、少なくともその10倍は存在するだろう、いや100倍にも膨らんでるかもしれない(なにしろ日本は検査の数が少ないので)。

 4月中に開催予定の催し物は中止か延期が次々と発表されてるが、5月以降の~祭りや~大会などはまだ予定を外してないのがほとんど。しかし新型コロナウイルスがいつ終息するかまるで分からないし、日本のピークはこれからだ。

 金沢では6月初めに開催予定の「百万石祭り」は中止の可能性が高い。向こう一年間、おそらく全国のほとんどのイベントは中止に追い込まれると思う。今年に限って、プロ野球もサッカーJリーグも試合は無理じゃないか。

 罹患しても8割が無症状か軽症で気づかないというから、私も既に感染者の可能性はある。時間の多くを家で費やす私だから安全といえば安全だが、しかし運動を兼ねて買い出しにスーパーへ出かけたり、銭湯や図書館にも行ったりするから、いつどこで保菌者と接触し感染するか、あるいは他者に感染させるか分からない。

 政府の対応を見る限り、もう手遅れのような気がする。医療や補償の体制がまったく構築されていないことが明らかとなり、経済大国とは幻、日本の繁栄は砂上の楼閣に過ぎないことを新型コロナが炙り出した。具体的な補償が一切なく、お上が一方的に自粛要請しか出来ないことが何よりの証拠。

 患者数は増やしたくない、けれど経済的損失は最小限にしたい、そのジレンマで、政治も経済も、そして大多数の人々が悩み迷い苦しむ。こんな厳しい現実を経験するとは、戦後ほとんどの人が初めてだろう。しかし、だからこそ長期的な視野に立ち、コロナ終息後の社会をも描かなければ。

 災害や災厄に味をしめ陰で好き勝手したがる輩がいる。特に権力の中枢には虎視眈々と狙ってる奴等がいるかもしれず、刑務所社会にさせぬよう十分気を付けたい。やっとコロナが終息したと思ったら足首が鎖で繋がれていた、なんてことにならないように。