自己保身という性悪

 人間というのはそのままでいると、つまり自己変革から逃げていると安易な方へどんどん流れる。自己中心となり、自己愛に耽溺するようになる。学ぶことを怠り、日々の努力を嫌うなら、人間は益々自分勝手になる。

 どんな人間も自立して生きようとしなければならない。勿論、たった一人で実際には人間社会を生きることはできないから周囲との協力がどうしても必要だ。だからこそ、互いが自立できるよう助け合わなければならないのは言うまでもない。

 国も地域も同様、互いの存在をまずは認め合うこと。自分たちこそが一番という考えから脱却し、相手も個性的な一番になるための制度を築く、その為の思考を発展させることが何より重要ではないだろうか。

 今現在、世界が不安定な情況に陥り、混乱して先が見えなくなる事態に突き進んでいるのは、ドナルド・トランプのような自己保身第一主義者がのさばり、そのような人物と相似形の人々がインターネットのSNS等で増殖しているからだ。以前にも書いたし、さらに重ねて書くが、トランプは米国第一主義ではなく「自己保身第一主義」に過ぎない。

 そしてトランプと似たような人物とは、プーチン習近平、ネタニヤフ、金正恩等だ。米国第一主義のバイデンもダメだが、バイデンよりもっと酷いのがトランプだ。トランプは自分の不正や重罪を自らの力でチャラにするため大統領の席を奪おうとしている。そして、岸田文雄も国制より自分の立場優先、まさに自己保身第一にしか見えない。

 ところで、新聞記事(4月12日北陸中日新聞)で知ったが、俳優で歌手の加山雄三が、出身地の神奈川県茅ヶ崎市の市役所の広場に自分のブロンズ像が建てられて大変喜んだらしい。しかも本人の希望で表面が金色に塗装されたというからさらに驚く。正直、恥ずかしいし、非常に悪趣味だと思う。

 少しはまともな人かと思っていた加山雄三だが、生前なのに自分のブロンズ像が建って嬉しがる神経の持ち主だと分かり、本当にガッカリした。個人の像なんて何で作られようとこの世で最も無駄な物の代表である。彼もまた自己保身の塊だったのか、自己変革を怠った挙句、晩年に醜悪な人間性を世間に晒してしまった。

暖房器具の見直し

 春の陽気、絶好の花見日和。人が大勢集まる場所は遠慮したいが、好天で桜が満開となればどうしても出かけたくなる。金沢の兼六園は先週5日(金)から一週間の無料開園を実施、天候にも恵まれ多くの観光客が訪れることだろう。

 日中は暖かいが、それでも朝夕はまだ冷え込むので暖房器具はまだ片付けていない。今冬購入したデロンギのマルチダイナミックヒーターはもうしばらく活躍してもらう。

 この暖房器具、私はてっきりオイルヒーターだと思っていたが、実はオイルレスヒーターだった。レス、すなわちオイルを使用しないヒーターで、金属板(たぶんアルミ)を熱して暖める最近主流の製品だった。

 最近主流と言っても私が購入したタイプはもう5~6年も前の中古品、オイルヒーター関連に全く無知な私が店頭に飾ってあった「最後の一品」の言葉に釣られ衝動買いした品である。

 ネットでいろいろ調べてみると、レスの方が性能は向上、値段が少し高い分、オイルを使用する従来品より軽くて熱効率も良いと言う。他の製品と比べようもないので信じるしかない。

 物を購入するときは事前に調べてみる必要があることを痛感。私のそれはタイプとしては古く、新型が既に出回っている。今となっては遅いが、正直私としてはこのタイプの新型が欲しかった。

 デロンギのマルチダイナミックヒーター、使えば使うほど愛着が湧いてくる。いつの間にかじんわりと感じる温かさが好きである。高額で買ったんだから使いこなさなければ損だ。来冬はいろいろ工夫して有効活用したい。

 エアコンや石油ファンヒーターはなるべく使用せず、灯油の入れ替えが面倒なので特に石油ファンヒーターは卒業したい。マルチダイナミックヒーターは温まるまでに時間がかかり、足元が冷えるのが欠点、だからそれを補う小型の電熱機と併用するつもり。

 ちなみに三月の電気代は去年の同じ時期より1万円ほども高くなったが、マルチダイナミックヒーターは電気代が高くつくことが分かっていたので特に驚きはしなかった。その分灯油を全く注文しなかったから、光熱費全体で見れば差し引きほぼゼロである。

生活にメリハリを付ける

 今や誰もがネット空間に身を置き、スマホやパソコンを覗く毎日を送っている。テレビを捨てた私も電子機器に頼る生活。ときどきネットの繋がりが悪くイライラすることがあり、これで気持ちが不安定になるとしたら非常にマズイ。

 洗脳媒体であるテレビにサヨナラしても、人がネットで操られるなら、これまた大問題。情報の海に放り出され右往左往する姿は滑稽、かつ悲惨である。ネットを遮断し、安らかな時間を取り戻すことは日常生活において必要不可欠だ。

 今やスマホを所有してない人の方が珍しいだろう。私もスマホ歴は既に13年になるが、さて、せっかく便利なスマホを持ってるんだから、これまで上手にそれを使いこなしてきたか、と問われれば「いいえ全然」と正直に答えよう。

 私にとってスマホは時間と天気予報を確認するため、その他、表面的なニュースをときどき目で追う程度。最近、ようやく財布替わりとしても使い始めた。高価なスマホが時計と天気確認と財布だけだなんて、考えればじつにもったいない気がする。

 電話はもちろん、動画鑑賞、写真・ビデオ撮影はスマホ活用の中心らしいが、ほとんど誰も私に連絡してこないし、私からすることもまずない。動画もほとんど見ない。写真やビデオもあまり興味がないからその機能は眠ったまま。こんな私は変だろうか。私は特別だろうか。いや、いや、多くのスマホ所有者は私と五十歩百歩じゃないのか。

 とはいえ、十分に使いこなせなくても、何でもいいから、新しい物に触れようとする気持ちはとても大切。お金や時間の制約から何でもかんでもは無理だが、身の回りのたとえ小さな物事に対しても、新しいことに興味を抱くことは若さを保つ秘訣となる。

 年を取れば取るほど新しい物に対して毛嫌いしがちになるが、家電でも電子機器でも、ただ触れてみるだけでそれなりの価値はある。触って間違えて、失敗を何度も繰り返せば、それだけで退屈な人生にオサラバできる。ただし「安らかな時間」との併用でメリハリのある生活がより重要だけどね。

幸福と健康

 日中は物事に集中でき、それなりに充実した時間を過ごすことができても、もし睡眠が十分でなく、毎朝目覚めが悪いとしたら、それだけで人生の幸福感は半減する。逆に、日中どんなに嫌なことに遭遇しようと、熟睡できる就寝時間を十分確保できるなら、もうそれだけで、その人は人生の幸福を半分得ている。

 と、自分で書きながら上記の例は矛盾していることに気づく。特に後の例は一般の人にはまずあり得ない。嫌なことを体験したからこそ眠れなくなるのが普通だから。先の例は改善が十分可能。起きてる時間が幸せなら、体調を整えれば深い睡眠を得られる。しかし、何もかもうまくいくと却って人間は不安を抱くのも事実。

 さて、人は誰でも元気で長生きしたいだろう。だから書店では数多くの健康本が並んでるし、YouTubeでも健康チャンネルが数多く目に付く。血圧や血糖値、栄養成分、筋トレ、ダイエット等の言葉が溢れ、塩分や糖分の摂りすぎは危ないとか、太ってるとか痩せてるとか、数値が高いとか低いとか、じつに騒がしい。

 とはいえ、人それぞれ、気質、体質、性格…皆違うから、特定の指標を決めつけてはマズイ。だが健康の為、確実に言えることが一つあり、それは「薬やサプリはなるべく口にしない方が良い」ということ。

 私は健康にはかなり気を遣っている。そんな私はいつも歩いて馴染みのスーパーで買い物するが、行きも帰りも道のりは大体同じ、最短を選んでいた。しかし、毎日がこれではあまり面白くない。これから陽も長くなり、だんだん暖かくもなってきたから、今後は散歩がてらにわざと遠回りしようかと思う。

 私は歩くのが好きだ。そんな私が一日5000歩程度じゃ物足りなく、少なくとも7000~8000歩は確保したい。以前は自転車も好きでよく乗っていたが、しばらく乗らないうちにサビついて動かなくなり処分した。自動車は嫌いだし、自転車はもう要らない。これからは徒歩に専念する。

 健康と幸福は直結している。幸福になりたければ健康を維持しなくてはならない。自然災害に直撃されず、人間関係で深刻に悩むこともなく、日々平々凡々と過ごせることは、ある意味とても幸せなこと。だが私にとって人生は「過去はいつも不幸、本当の幸福は常に未来」と思うから、そのためにも健康でいたいわけだ。

人生処方

 生きているとイヤなことにたくさん遭遇する。不可抗力によるのもあるが、大半は他者との関わり合いで起きる。全然大したことないほんのちょっとしたことでも、相手が誤解したり気に触ったりしてイチャモンを付けられ、そんな時は本当に困る。

 他者から不快な思いをさせられた時にはどう気分転換すべきか。面と向かって正々堂々対応し、こちらが理路整然と意見を述べると、それだけで相手の感情を逆撫で、小さなボヤに油を注くことになり却って大火になりかねず、そうなると自分が損するだけだ。

 どうしたらいいのか。一番簡単なのは、こいつは不幸な奴だと想像すること。小さなことでケチを付けたがる輩は、至る所でそれをしてるから、誰からも好かれるはずがない、おそらく家庭でも職場でも。不幸のどん底に落ち続ける哀れな奴、と思い巡らすだけで随分楽な気分になる。

 生きてると嫌いな奴は必ずいて、相手にしないことが一番だが、とはいえ人間はどうしても過去を顧みる存在だ。過去の楽しい思い出に浸れる人はどれほどいるだろうか。大勢の心の内は知らないが、過去を振り返ればイヤな記憶ばかりが蘇る私である。だからこそ、私にはより良き未来があると信じたい。

 これまでの辛い経験はなんのためにあるかと言えば、それは自分を鍛えるため、自分をより強くするため。不可抗力や人間関係で多くの人、いやほとんどの人、いやいや全ての人と言っていいだろう、間違いや失敗を繰り返す。でも、未来は過去を克服するため拓くと思えばやる気が出てくる。

 もし未来が今より悲惨な状況になるとしたら、それは「過去の栄光」という幻想に囚われた人々のせいである。過去を学ぶことはとても大切だが、過去に憧れを抱くのは禁物。幸せを得た人よりも、悲惨な目に遭わされた人の方が圧倒的に多い、それが人間の歴史の事実だから。

せっかくの電気製品、使いこなしたい

 3月に入ったにもかかわらず、なんだか寒く、まだ2月の方が暖かったような気さえする。連日最高気温が6~7℃程度なら寒いのは当然だ。今年最後の本格的寒波がやって来たのは8日(金)~10日(日)。ミゾレや雪が降るし、11日の今朝は最低気温が0℃を記録した。この間、暖を取るための灯油は底をついたが、もうそれは注文したくない。

 さて、気象庁から桜の開花予想が出て、金沢は3月27日。全国で一番早いのはなんと東京の3月19日。不思議なのは金沢の開花日と鹿児島のそれが同じだということ。オントか? と思ってしまうが、これも気候変動の影響なのか。

 寒いので今月末に桜が咲くのかと疑りたくなるが、今週後半以降一気に暖かくなるらしいので大丈夫だろう。金沢で4月に入ってから桜が咲くのはとっくの昔、今では3月開花が当たり前になってしまった。気候は寒いか暑いか益々二極化しそうである。

 なるべく灯油を使いたくなく、石油ファンヒーターと代用するため「マルチダイナミックヒーター」という名称のデロンギ製のオイルヒーターを購入したのが2月上旬。期待したほど暖かくならず、最初ちょっとガッカリしたが、しかしあれこれ試しているうち、少しずつ改善、結論を下すのはまだ早いことに気づいた。

 空気の流れを想像し、設置場所を考慮すれば、かなりの効果を発揮できることが分かった。どんな暖房器具を使おうと、足元を暖かくすることが肝心である。何より取扱説明書にしっかり目を通し、効率の良い使い方を学ばなければならないと実感している。

 ところで、どんな家電製品でも買えば必ず付いてる取扱説明書。これをしっかり読んで製品を使ってる人は、果たして何人いるか。多くの人がそれを理解せず、うまくいかないと文句を言ってないか。短期間使用しただけで良否の判断をしてはいけない。まともな製品なら使えば使うほど性能を発揮し味が出てくる。

 このマルチダイナミックヒーター、今のところ寝室で睡眠中に稼働させるのが最適のようだ。エアコンのように風が舞うことはないし音も静かなので気持ちよく眠れる。温度が低めのタイマー設定なら電気代もそれほど高くならないと思う。今冬は中途半端の使用で終わりそうだが、来冬は存分に有効活用したい。

トランプ的世界

 今年11月の米国大統領選が注目の的だ。前回と同様、現職のバイデンと前職のトランプで争われそうだが二人ともあまりに高齢、もっと若い候補者はいないのかと嘆きたくなるが、どうやら米国も日本同様政治家の人材不足のようである。

 選挙ではトランプが復活するかもしれないとの予想が既に出て、もしそうなると世界は益々混迷を深め危機的状況に陥るかもしれない。なぜトランプのような人物が世界で最も影響力のある米国の大統領になれるのか、ここに今現在の問題が集約されていると思う。

 トランプは米国第一主義を標榜しているが真っ赤なウソ。彼は自分第一主義、すなわち自分勝手主義を貫いているに過ぎず、自分が得することばかりしか関心を抱かず、他人はどうでもいいので平気で嘘を付く。そしてこんな似たような思考の人々から圧倒的に支持されているだけだ。

 自分を大切にしたい気持ちを抱くのは人間として当然、しかし自分以外の他者も尊重したいと願うのも人間であり、この均衡の上にかろうじて人間社会は成り立っているが、現在は自己愛がより強まり他者を蔑ろにしている傾向が目立ち、じつに不安定な状況と言えるだろう。

 SNSの発達で承認欲求が強くなり多くの人々が自己に耽溺するようになってきたこと、それがトランプのような大嘘付きを大統領にまで上り詰めさせたのは間違いない。

 しかし一方で、かつて頻繁に投稿していた人がフェイスブックやエックス(旧ツィッター)上で見かけなくなってもいる。ユーチューブも然り、同じチャンネルでも更新が減ったり内容が重複したりマンネリ化し、斬新さが欠けてきた。

 当然そうなっていくと思う。立ち上げた当事者がSNSに振り回されてることに気づき、ウンザリしてそこから距離を置きたくなるからだろう。流行り廃りの変化は激しく、特に電子機器の発達とインターネットの進歩でそれが顕著になった。

 SNSの歴史はまだ浅いが、この形式がいつまで続くか。頻繁に動画アップするのは至難の技で成功する人は稀だ。そもそもユーチューブは10年先も存在しているか。激しく移り変わる時勢に乗ったトランプは運よく頂点に立てただけ。今現在という時代を象徴しているように思えてならない。